古海電脳棺

Jan 13 2009

僭越ながら、私は彼女たちの話を聞いているうちに、自分探しの方法論が間違っているのではないかという気がしてきた。遠かれ近かれ、それぞれの持つ目的や目標のために方法を打ち出して実行すべきなのに、焦燥感をまぎらわすためだけに、あまりにも近視眼的になってはいないか。目標からの逆算でプロセスを計画しなければならないのに、小さな一歩を踏み出しさえすれば、それがいつしか目標につながると過信してはいないか。  

 私は彼女たちに、少し意地悪な質問をしたことがある。  

 「40歳になった時の自分を想像できる?」  

 なぜ意地悪な質問なのかというと、方法論を知らない彼女たちからはおそらく、「全く想像できない」とか「今と変わらず焦りを感じていると思う」といった答え、あるいはよくても「少しでも夢に近づけていると信じたい」という答えが返ってくるとふんでいたからだ。  

 しかし、ある女性はこう答えた。「今より精神的にはずっと楽になっているのではないか。その頃には、人生を諦めることを覚えていると思うから」。また、他の女性も言う「その頃には頑張らなくてもいい年齢になっているだろうから、趣味などをはじめていたい」。

 つまり、こういうことだ。将来を見据えて焦り、もがき苦しんでいる女性たちの心中は、実は極めて冷静に自分の立場を見つめ、かつ諦めている。

 なぜなのか。これはやはり、これまでこの世代が置かれていた環境が与える影響が大きいようにも思う。どんなに努力をしても、成功体験を得にくかった時代。いつもネガティブな環境に身を置き、諦めることを強いられた時代を生きてきた彼女たち。

 苦労をすることには慣れてしまった、努力もいとわない。でも、「夢なんて叶うものではない」と最初から決めつけている、そんなまじめで頑張り屋である彼女たちが、唯一得られる満足感や達成感が、「資格を取る」といった小さな目標を掲げてクリアしていくことだというなら、それは納得がいく。

 このままではいけない、と「夢を追い続ける」という大きな命題を掲げ、常にアドレナリンを出し続けていることが、不安感を払拭する方法であるのも、分かる気がする。ただ、同じ年代の同じ女性として、あまりにもその一生懸命さが辛く心に突き刺さる。

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